hoodiee

2023年2月 2枚目となるアルバム「23/24」をドロップした大阪出身のヒップホップアーティスト「hoodiee

今回はGod Birdとしても初となる、インタビューを敢行した。

若干24歳ながら、地元大阪はもとより、東京や神奈川で確かなプロップスを得ている、次世代ラッパーの活動と、その原点について話を聞いてきた。

活動を始めた理由から、ラップへの使命感。

そして今後、彼がどこへ向かうのか?

極上のインタビューをお届けしていこう。


一番の精神安定剤が音楽

-ラップを始めたのはいつから?

本格的にラップを始めたのが、2021年の6月とかですね。そこから半年後の2021年12月に1stシングル「Make a Shot feat. vVeSt 」をリリースしました。

このシングルは、僕らの曲を聴いてくれた人が、どんな反応をしてくれるんだろう?みたいな、良くも悪くも、反応を楽しみに発表した、思い出の一曲です。


‐そこから2年経たずに、アルバム2枚をリリースされてますが、すごくハイペースですよね?


色々あって曲を作っているときが、自分にとって一番の精神安定剤みたいになってますね。一番落ち着く時間というか、幸せな時間なんです。

なので、曲を作ろうと思って制作しているというよりは、時間さえあれば作ってしまっているって感じです。

その中で、自分がいいなぁと思う曲をリリースしてます。



‐ここ1ヵ月くらい聴いてますが、韻が固いイメージがあります意識はありますか?


韻が固いとか大阪で言ったら、先輩たちにバチボコに殴られるんで何も言えないっす 笑

自分がラップしやすいように意識はしているので、その意識がそういう風に感じてもらえるのかもしれないですね。

-現在は大阪を中心に活動してるんですか?

先日は新小岩のイベントに呼んで頂いたり、横浜や神奈川、あとは福島のいわき市に呼んで頂いたりとライブオファーは様々なので、ライブの活動拠点というのはないんです。

大阪でも近いうちにライブをやらせてもらえるので、情報解禁されれば告知したいと思っています。



-レコーディングも自分やってるんですか?

レコーディングは、姫路のクルーでMaisonDeのShurkn Papさんや、week dudusさん、などのエンジニアをされている方に、活動を始めてからずっとお世話になっています。

すごい優しい方で、僕の曲もプロデュースしてもらってるんで、かけがえのないエンジニアさんなんです。


1st Album『Pray22』


僕は他者を表現しない

-活動コンセプトやビジョンはありますか?

活動コンセプトは、一言で言えば自分です。
僕は他者を表現しないんで。

例えばYOASOBIさんだったら、あるストーリーにフォーカスして曲を書いてるじゃないですか?

自分とは違う対象物のことを歌詞として曲に落とし込んでいるんですけど、僕は逆で、自分のことしか書けないんですよ。

自分をさらけ出して、楽曲に共感してくれた人の人生が、1秒だけでも笑顔になったり、この歌詞面白い!と思ってもらえたり、車で聴いたら、むっちゃ上がる!みたいな。

そんな瞬間を1秒でも作れたら、自分が生きてる価値があったかなって思える。そんな活動をしていきたいって思ってます。


存在証明のために歌詞を書いている

ビジョンとは少し違う気もするんですけど、ここ1年くらい好きで聴いてるYungeen Aceってラッパーの歌詞で、

「色々あって落ち込んでるときに周りに誰もいなかった。そんな時に誰にも見られずに、必死で歌詞を書いてたら、今ではお前らが俺に助けを求めるようになった。俺が助けを求めた時にお前らはこなかったのに、俺に助けを求めるのはなしだろ」

っていう一節があるんですが、僕はGive&Backは求めないようにしてます。

僕にも落ちていた時期があって、携帯すら見れずにずっと布団をかぶって、なにもできず寝たきりみたい時期があったんです。

その時の僕を勇気づけてくれたのは、音楽だったしHIP HOPでした。

正直、その時期に助けてくれる人はいなかったけど、もし友達がしんどかったら助けたいって思うんですよね。

でも、僕も身体が一個しかない普通の人間なんで、例えば、沖縄と北海道に同時に困っている人がいたとしても同時には助けられないじゃないですか?

なので、自分のそういう経験を楽曲に落とし込むことで、聴いてくれた人が共感できたり、ちょっとでも楽になってくれたり、いわば曲が、僕の分身になってくれる。

そんな曲が何曲もあれば、助けれる人数は膨大になるし、夢があってもやれてないって人の背中を押すことだってできるだろうし、

僕はこうやって生きてる。だから、ちょっと試してみれば?みたいな。

強制はしないけど、こういう生き方もあるよ。っていうのを感じてもらって、誰かの人生に影響を与えれるような曲が書ければなって思いますね。

音楽は、その人が亡くなったとしても、誰かを支え続けれると思ってて、ささやかでも自分の音楽がそうなれば意味があったと思える。

死にたいと思った時期もあったんですけど、今では生まれてきて良かったって思えてるし、そんな自分の存在意義のために、歌詞を書いてます。


おかんには夢を見せたい

‐今の考え方や信念を構成しているのはその経験ですか?

そうですね。今の自分の考え方が培われたのは、自分の経験だとは思うんですけど、経験をするための行動力に関しては、間違いなく、おかんですね。

おかんはめっちゃ放任主義な人で、やりたいことは全部やれ。って後押ししてくれるスタイルの人で…笑

アメリカの大学に行くときも、行ってくれば?って感じで後押ししてくれたり、半年間落ちていた時期も、息子がずっと寝ているのに何も言わなかったし。

ただただ、ご飯だけ毎日作ってくれて、なにも言わないみたいな。

言葉を必要としない支えがあって、自分の選択を尊重してくれる環境があったからこそ、自由な発想で色々な経験ができたと思っています。

父親にも感謝はもちろんしていますけど、おかんにはめっちゃ感謝してますね。

だからこそ、おかんには夢を見せたい。

おかんが育ててくれた経験を歌詞にして、それで全部稼いだよ。ってね。


2nd Album『23/24』

始めてのフリースタイルはアメリカ

‐影響を受けたラッパーはいますか?

はじめてヒップホップを聴いたのは、小学校5年生くらいの時ですね。
Hilcrhymeにハマって、中3くらいまでライブとかめちゃめちゃ行ってました。

Hilcrhymeがヒップホップだと思って聴いてはなかったけど、アーティストとして好きで聴いてた感じでしたね。

それから、高1の頃に「高校生ラップ選手権」があって、それを見るようになってからヒップホップを意識するようになりました。

僕の時代は、T-Pablowくんと、YZERRくんの「2WIN」ってユニットがあって、それが一番最初にヒップホップだと意識して聴いたアーティストかもしれないですね。

でも、特に影響を受けたのは、高校を卒業して行ったアメリカの大学生活ですね。

アメリカって本当にヒップホップしか流れてなくて…もう毎日流れてるのがヒップホップの最新チューンなんですよ。

それこそ、ポストマローンだったり、リル・パンプのGucci Gangなんかが、ずっと流れていて、向こうでは自然とヒップホップ漬けの生活をしてた感じです。

アメリカではよくパーティーみたいな集まりがあって、韻とは少し違うんですけど、音が似ている言葉を順番に言っていくリズムゲームみたいな遊びをよくやってました。

なので、最初にフリースタイルをやったのはアメリカってことになりますね 笑



同じ立場でお客さんを盛り上げたい

-そういう経験からラップを始めていったんですか?

ラップに触れ出したのは、もちろんその経験からなんですけど、ラップをやってみようと思ったきっかけは、横浜のBay Klang Squadってクルー主催のイベントに良く遊びに行ってたんです。

で、ある時、「俺にもできんじゃね?」みたいに思ったのがきっかけでしたね。

なんか、ステージだけ見てるのがいやで、いつか同じ立場でお客さんを盛り上げたいな。とかって思ったりして。

さっきも話した、寝込んでた時期が21才くらいの頃だったんですけど、その時、ふと「ステージに立ちたいって思ってたなぁ」ってのを思い出して、ガレージバンドを使って曲を作り出したのが最初です。

一日中寝てた時間が「音楽作るってどんな感じなんだろう」みたいな、調べては作ってみて、ラップを乗せてって感じで。

曲を作り出したら、半年間寝たきりだったのに、気分も良くなるし、なにより楽しかったしで、寝たきりの時間が徐々に曲作りにシフトしていってラップを始めました。


-その時に聴いてた曲で、印象に残っている曲はありますか?

自分の気分を上げてくれたのは、Aitchっていうイギリスのドリルのラッパーです。

僕がガレージバンドとか触る前はずっと、歌詞というか音楽で助けてくれてて。

歌詞だけで言うと、ラップ始める前もそうだったんですけど、NORIKIYOさん、MACCHOさんですね。

二人の楽曲「俺たちの唄」とか、何回も聴いて、何回も泣いてたっすね。

NORIKIYOさん、MACCHOさんみたいに、僕も同じような気持ちの人や、そういう環境にいる人の支えになれるような楽曲を作っていきたいと思ってます。


-これからラップを始める人に相談されたらどんなアドバイスをしますか?

DMでも、ラップ始めました。みたなのはよく来るんですけど、アドバイスってのはあんまりないですね。

ただ、ラップに限らず後悔しないようにやって欲しいと強く思います。

あえて言葉をかけるなら、飽きたり、もういいやって自分で判断できるくらいまで、何事もやりきるのがいいよ。って言うと思います。


-バトルには出ようと思わないんですか?

普通に僕、悪口言うのが得意じゃないんですよね。笑

ラップで悪口を言ったりとか、そんな感じの生活でもなかったし、悪口言ったあとに仲良くなれそうもないし。

ただ、バトルに出てるラッパーはめちゃくちゃ尊敬してます。

人の弱点をついて、お客さんを盛り上げるって僕には到底できないスキルなので。

そんな理由でバトルには出てませんけど、自分の経験を歌詞にして盛り上げる方が、僕の性根にはあってるって思ってます。






毎月だれかのもとに生で届けたい

-今後こんなステージに立ちたいとか、目標はありますか?

でかいフェスやイベントにラインナップされたい気持ちはもちろんあります。

けど今の目標はなに?って聞かれたら、月に一回色々なライブに参加させてもらって、現場で曲を通じて共感し合いたいって方が強いかもしれませんね。

SNSのDMとかじゃなくて、お客さんの生の声を聞けた方が、僕ももっとがんばろうって思えるし。


人間としてカッコいい存在でありたい

-最後にhoodieeとして、どこまで行きたいですか?

半年間、家から出れなかった経験や、アメリカにいた頃に、前日まで普通に生きてた友達が、翌日亡くなったりとかも経験してて。

そういう経験から、明日死んでもいいように生きるってのが僕の教訓みたいになってます。

そういう思いから、ここまで行きたいって言うより、自分が死んだときにあの人の曲やっぱり良かったよな。とか

親とか友達に対しての感謝とか、あいつ紆余曲折あったけど、ちゃんと芯は通った生き方してたよなって言われる人間でいたいと思ってます。

アーティストがなんなのかは分からないけど、行動とかも含めて、ラッパーだからかっこいいって言うよりは、「一人の人間としてカッコいい存在でありたい」ですね。

ラップっていう表現を選んだのも、自分を主張する1個の手段であって、ポップスにはできないような、歌詞を音に乗せるラップが、たまたま自分にはまっただけかもしれないし、

ラップがやりたくてやってる。っていうよりは、ラップが一番自分を出せる表現で、一番自分が楽しいし、いろんな日常を彩れて、自分にぴったりの表現方法が、ラップだった。ってだけです。

hoodiee (フーディー) 1999年生まれ
大阪出身のヒップホップ・アーティスト

この記事を読んだ人はこちらの記事も読んでいます