目次
- 人喰(KNINK)独占インタビュー
- まずはラップを始めた頃のことを教えてください
- そこからラッパーを志したんですね
- 日本で影響を受けたラッパーはいましたか?
- ギドラやペイジャーからラップを学んだと
- そこから日本語ラップにハマっていったんですね
- ラップで重要視しているのは、韻を踏む場所ですか?
- 人喰さんにとってのディグとは?
- 今のシーンにはないような感覚ですよね
- 今後、日本のヒップホップはどこに向かうと思いますか?
- そこからラッパー人生がスタートしたと…
- 華々しいラッパー人生のスタートだったんですね
- その後、デミさんとの繋がりはどうなったんでしょうか?
- 今後はどんな活動をしていく予定ですか?
- これまで通りの活動をしていくんですね
- それでは、最後に一言お願いします
- あとがき
- 楽曲紹介
人喰(KNINK)独占インタビュー
2024年一発目の記事は、昨年8月にインタビューをさせていただいた画像の男。
実は90年代からラップを始め、様々なレジェンドラッパーたちと共演、共存をしていた彼なのだが、訳あってシーンから姿を消していた男だ。
そんな彼が最近、活動を活性化させ、ラップしたりペンキ塗ったり、焼き鳥焼いたりと、シーンに否、日本に人喰い旋風を巻き起こそうとしている。
そんな彼がこれまでの活動や、半生を振り返りつつヒップホップやラップについての想いを赤裸々にふざけまくって語ってくれた。
彼の言葉通りに書くことも考えたが、彼との貴重なインタビューは実に3時間にも及び、その時間は笑いっぱなしで、ムダな会話だらけだったので記事用に簡潔に、分かりやすくまとめてみた。
人喰いと書いて、人喰(KNINK)。日本でも稀有な存在のラッパーの口から語られた等身大の言葉を堪能していただければ幸いだ!
まずはラップを始めた頃のことを教えてください
16歳くらいの頃からかな~先輩にカラオケに誘われたりして、当時の流行りだったTRFとかの曲のブレイク部分でテキトーにラップっぽいことをしてたのがきっかけかな。
腹減った~とか、こんな女とやりてぇ~とか、くだらないことをラップしてたのがきっかけって言えばきっかけかも。
自分でいうのもアレなんだけど、まぁまぁ上手くしゃべれて、みんなを笑わせる快感が気持ち良すぎちゃって、これだ!って思ったのは覚えてるな。
そこからラッパーを志したんですね
DJはさ、機材買うのに金かかるじゃん。レコードも何枚も持ってなきゃいけないし、使ってる機材で、にわかかどうかバレるんだよ。
ダンサーもそうで、踊ればすぐにバレちゃうじゃん。その点、ラッパーは金かからないから、すぐ名乗れるし。
それに、昔からしゃべりだけはイケてる自信があって、ラッパーって名乗ってもバレないと思ってたのね。
カラオケでのテキトーラップもそれなりに聞かせれてたから、完全にイケると思ってたよね。思ってなきゃやらないし。それがラップを始めた理由かもしれないね。
日本で影響を受けたラッパーはいましたか?
Zeebraくん。キングギドラ。「口から出まかせ」のZeebraくんのラップに喰らったよね。
それからMICROPHONE PAGERなんかを聴いて、やべぇなって思ったり、それからスチャダラパーとかは、スケーターの友達たちが聴いてて、こっちもやべぇな~って思ったりしたかな。
それから俺の中で日本に黒いラップと、明るいラップの二種類があるんだなぁって思ったりしてさ。
そのあたりから、国内もそうだけど海外のラップを食い入るに聴き漁っていったよね。
ギドラやペイジャーからラップを学んだと
ギドラやペイジャーを知って、漁るように黒いラップを聴き始めたんだけど、聴き始めてすぐくらいに、なんか感覚的に分かっちゃったことがあるんだよ。
ラップすることがどういうことか。韻を踏むってどういうことかってことをね。
Zeebraくんが、韻を踏んでる場所ってさ、海外のラッパーが踏んでる場所と同じなんだよ。
エリックB&ラキムとかZeebraくんと同じ場所できちんと踏んでるんだよね。
それでなんとなく「ドラムがキーになってる」ってのが分かって、それを確かめる意味で、すぐにドラムの楽譜を買ったんだよ。
その楽譜に韻を踏んでる場所で印つけていったらさ、2発目と4発目のスネアで基本的に踏んでるってことに気づいちゃったの。
それからは曲を聴くたびにその楽譜でチェックして、ここで踏んでるな。ここでも踏んでるな。って簡単に分かるようになっていって。
偶然できた韻ってやフロウなんかじゃなく、狙って韻が踏める。落としどころも狙えるようになったから、それが練習っていえば練習だったのかもしれないね。
他にも、小節間のスタッカート(跳ねる部分)を理解したり、フリースタイルでフロウを磨いたりして、全部ドラムに習ってラップを理解していった。って感じだね。
そこから日本語ラップにハマっていったんですね
逆で、日本語ラップはほとんど聴かなくなっちゃったなぁ。
というのも、海外のラップは本当に勉強になるんだよ。
俺が一番勉強になって、今でもよく聴くのはBoot Camp Clikで、その中でもSmif-N-Wessunには、本当に勉強させてもらったよね。
例えば、韻を踏むときに同じリズムじゃなくて、1拍置いて韻を踏んだり、逆に1拍省いて韻を踏んだり、同じリズムだけじゃなく手前に置いたり、散らしたりして8小節の中で言葉遊びをすること。
そして、言葉遊びをしながら、自分のフロウ(技術)を表現することがラップって教えてくれたんだ。
あくまで基本は忠実に、ラップは基本に忠実じゃないといけないんだってことも同時に学んだのがSmif-N-Wessunだったよね。
それからWu-Tang ClanのMethod ManやMob Deepからオンビートやオフビートとかのスキルなんかを学んで、極めつけはNasだった。
はっきり言って、Nasはただの変態。
さっき言ったハイハットの2と4で踏むんじゃなくて、Nasは3.5とか3.7だったり、4.2とかの間で踏んでくる。
きちんとしたとこで踏めないんじゃなくて、踏まないんだよね。
韻を踏む場所っていうか、数学的にかなり複雑なんだけど、きちっと計算して狙って踏んでくるんだよ。別格だと思ったね~。こいつには勝てねぇって…
とにかくこういう研究を20年くらいかけてずっとやってたよね。
ラップで重要視しているのは、韻を踏む場所ですか?
韻も大事だし、フロウも大事なんだけど、俺にとって重要なのはやっぱりグルーブだね。
リリックなんてあんまり重要視してなくて、とにかくグルーブが大事だと思うよ。
若手のラッパーなんかとサイファーするときに、今みたいな説明をしながら「めちゃくちゃ語ラップ練習」っていうの良くやるんだ。
言葉はいらないから、とにかく語尾で韻を踏む練習をするんだよね。
チョメチョメでも、なんでもよくてさ。とにかくリズムを体に覚えさせる。リリックなんて書くな!なんて言ったりもする。
リズムが体に染みついてないままリリック書くと、ペン持ってその気になっちゃって、理想語ったり、人のことディスしたり、勘違いしちゃうんだよ。スーツ着るとその気になっちゃうのと一緒だよね。
だから、徹底的にリズムを身につけて、グルーブを求めるのがラップの醍醐味だと思うよ。
俺Mob Deepのリリックなんてほとんど知らないけど、グルーブだけで全曲歌えるし、デミさん(NIPPS)のリリックにも意味なんてないじゃん。
俺のラップに夢とか希望とかないし、聴いてくれる人にそんなもの与える気なんか全くない。って言ってたもん。そんな力俺にはないよぉ~(モノマネしながら)って。
そんな人にラップを教わったもんだからさ、俺だってそんなリリック書けるわけもないし、グルーブを求めることだけがラップの気持ち良さだと思っちゃってるからね。
上手いラッパーはいっぱいいるじゃん?教科書通りにラップして、バビロンがどうとか言ってるけど、自分のバビロン倒してから言えよって思うね。
バビロン倒したらバビロンのことなんかもう歌わないから。それが答えなんだよ。
言ってるうちはまだまだだよ。もっと言うと、ヒップホップって簡単には分からせないんだよ。
本質をなんか絶対に教えてくれないって言うか、人を寄せ付けないアートなんだ。
自分の頭の中でイメージしたり、作られたシステムを臭わせて、分かるやつだけ寄ってこい。っていう音楽だからね。
俺も修行を積んで、やっとその領域に行けたからさ。それこそがディグってやつだよ。
人喰さんにとってのディグとは?
一言で言えば、ディグは真理の追求なんだよ。
みんなディグってさ、レコード掘ったり、歴史を勉強したりするわけじゃん。
そうじゃなくて、本当のディグってのは、ある物事を勘ぐって、こうなってんじゃないのかな?もしかしたらこうじゃないの?追求することなんだ。
掘るんじゃなくて真理に向かうことって言うのかな。
このディグの精神さえあれば、例え違う音楽へ行こうが、仕事だろうが、人間関係だろうが、自分と向き合うときなんかでも、全部万能で使えるんだよね。
偶然なんだけど、最近Fuzzくんって若手のビートメイカーと知り合って「借金鳥」っていう曲を作ったんだけど、アカペラをTune Coreに入れ忘れちゃったみたいなんだ。
今回アカペラなしの配信になっちゃうってなってさ、それが逆にチャンスだと思ったんだよ。
それが、最近Twitterで盛り上がってた俺のアカペラコンテストなんだけど、
アカペラに合わせたビートを色々なビートメイカーが作るってやつ。そういう逆転の発想がヒップホップのやり口なんだから。
くわえて、俺のラップにはビートにカチっとハマる成分がふんだんに入ってるわけよ。
参加してくれた色々なジャンルのビートメイカーたちが、自分はすごいビートメイカーになれた!って思ってくれたはずだよ。
俺のラップだから当たり前でしょ?って感じで俺は俺でニヤニヤしてたんだけどね。
こういうのもヒップホップの醍醐味だし、ヒップホップの真理のひとつなんだよ。
今のシーンにはないような感覚ですよね
バトル全盛のシーンにディグの意識は正直薄くなっている気はするけど、ぶっちゃけ今のシーンは予想できなかったよ。
単純に今のシーンを作ったZeebraくんはすげぇな!って思うよね。
ヒップホップってさ、一瞬日本で流行りはしたんだけど、2005年くらいには日本のヒップホップは一回終わりを迎えたんだよ。
でもZeebraくんがそれを許さなかった。あの人オタクだからさ。
なんとか、ヒップホップを日本で定着させたい。って気持ちがハンパなかったんだ。
だから、分かりやすいバトルを押し出したことで、日本のヒップホップは生まれ変わった。
そういう意味で、世代を跨いで日本のヒップホップが生きてるってのは、本当に喜ばしいことだよね。
そして、これからの日本のヒップホップはもっと面白くなるって思うよ。
今後、日本のヒップホップはどこに向かうと思いますか?
最近はドリルとかトラップが流行ってて、海外でも流行りに乗っかる志向が強いと思うんだけど、そこにはディグやリスペクトの精神が欠けてるって思ってる。
マネーやバビロン的なパワーがはびこり過ぎちゃって、その結果が今になってると思うんだよね。
バトルって分かりやすいじゃん?日本人って心が綺麗だから、他人を罵倒したりすることに逆に快感を覚えちゃったりする人種だし。
でもヒップホップっていう音楽は、やっぱり言葉の気持ち良さより、ビートやリズム、それこそグルーブの気持ち良さがヒップホップだと俺は思うんだよね。
そういう、俺と同じ90年代のブーンバップの気持ち良さにやられちゃった連中が、どんどん前に出てきて、シーンはそっちに向かっていくと思うよ。
その証拠に、MACCHOとKREVAがPlayers’ Playerリリースしたでしょ?流通されてるもので育った世代を揶揄するっていうかさ。
あの動きがあって、ラッパ我リヤや般若なんかも最近活性化してるし、どんどん昔のシーン、いわゆるヒップホップの本質に立ち戻っていく動きが、より大きくなっていく気がするんだ。
俺も産地直送のフロウやビートを輸送した師匠にヒップホップを教わってきて、気持ち良さにやられた一人だから、もっともっと動いていきたいって思うよね。
まさか師匠はデミさん(NIPPS)?!
そうだよ。
デミさんとの出会いは、1995年くらいだったかな。多分ラップ始めて半年くらいのときかな。
大学生のお兄さんたちに、声がいいから俺らのグループに入ってくれって言われて、俺は千葉県の人間だから「罰当たり」ってグループを作ったんだ。
それで、Das Efxっていうラッパーが川崎にライブしにくるってなって、その時シーンの最前線にいたZeebraくんやデミさんが、出演者のワッペンを胸とかに貼ってクラブにいたんだよね。
そのイベントの前座でラップコンテストがあって、出場したんだけど、優勝はできなくて、なんだよ~なんて思ってたら、変な女の子に声かけられてさ。「こっちきて」みたいな。
非常階段に連れて行かれたんだけど、そこに変なおっさんが座ってたんだよ。
そのおじさんに、(モノマネしながら)「君、声やばいじゃ~ん」とか言われて。
なんだよこのおじさん!って思ってたら「俺のこと知ってる?」なんて聞くもんだから、知らないです。って正直に答えたの。
そしたら、木村って言います~って言われてさ。木村?って思ってたら、
ブッダブランドってクルーの「NIPPS」って言います。って言われて、おぉぉぉ!ってなっちゃって。
んで、今度遊ぼうよって言われて、PHSの番号もらったんだけど、そのメモなくしちゃってさ…
なんとか連絡取らなきゃって感じで調べてたら、人間発電所のCDの裏に“カッティングエッジ”って書いてて、これだ!って思ったわけよ。
タウンページかなんかでカッティングエッジに直接電話して、人喰っていいますけどブッダの木村秀美さんいますか?って言ったら、今じゃ考えられないんだけど、繋いでくれてさ。
そしたら今週遊ぼうよって話になって、渋谷のタワレコに17時集合って約束したんだ。
でも、当日俺遅刻しちゃって18時半に着いちゃってさ。そしたらデミさんは19時に来たんだよ。俺2時間も待ったって体にしちゃったりして、それがデミさんとの出会いだね。
そこからラッパー人生がスタートしたと…
スタートしたかは置いといて、デミさんとの出会いが人生を変えてくれたことは間違いないよね。
当時の俺はまだ高校三年生で、ただのヘッズだったし、歌詞も書けない、即興しかできないラッパーだったから。
で、とある日デミさんと渋谷にあるCAVEってクラブに二人で行ったんだ。
そこにはZeebraくんとか、UZIくんとか、後のURBARIAN GYMのメンバー何人かいたんだよね。それでデミさんが、みんなに紹介しれくれたわけ。
「こいつ人喰って言って千葉のやつなんだけど、俺BUDDHAクビになっちゃったからさ、こいつとユニット組んでやろうと思ってんだよね。」って。
急にデミさんが、はい、じゃあ人喰みんなにラップで自己紹介して。って言われてみんなの前でフリースタイルかましたりしてさ。
そしてらそこにG.K.MARYANくんとか、YOU THE ROCK★さんとかRINOくんとかがなに?なに?って感じで集まってきたんだよね。
結果的にその日のうちにヤバイ人たち全員紹介してもらってって感じでさ。
そんなヤバイ一晩を過ごしちゃったもんだからさ、俺次の日に家出しちゃったのよ。
高校三年生の三学期で、調理師学校に進学も決まってたんだけど、「俺ラッパーになる!」って言って、家を飛び出しちゃったわけ。
当面の生活費だって思って親の金を20万くらい盗んで、その金カツアゲされたら困ると思って靴下の中に入れたりして、次の日に東京へ向かったんだよね。
東京に出てきたはいいんだけど、あてなんて全然ないわけじゃん?
どうするかな~とかって思ってたらデミさんが、渋谷にあるFamilyってクラブのオーナーを紹介してくれたんだ。
それでデミさんが「お前はNYから帰ってきた俺の甥っ子」ってことにしてくれて、Familyで働けるようにオーナーに話してくれたんだよ。
それから、夜はFamilyの営業が終われば、フロアに椅子ならべて寝床を確保したり、昼間は暇だからさ、G.K.MARYANくんが働いてた服屋に遊びに行って服もらったりして。
それからNAKED ARTZのメンバーが溜まってた“GLOW IN THE DARK”だったり、THINK TANKが仕切ってた“Clip13”だったりに遊びに行くようになったんだよね。
BABAくんとかJUBEくんに韻の踏み方甘いっすよ、なんて生意気言って可愛がってもらったりして。
そこで知り合ったラッパーたちと遊んでリリック書いたり、夜はFamilyでバイトしながら、色々なイベントに出演させてもらったりして、ラッパーとしての活動がスタートしたんだよね。
それで、あの有名な“鬼だまり”に出演させてもらったのが最初の大きな流れかな。
華々しいラッパー人生のスタートだったんですね
最初はね。
ただ、その後紆余曲折あってね、デミさんと喧嘩別れしちゃうんだよね。
今は笑い話で話せるんだけど、デミさんと喧嘩しちゃったことで東京のクラブで歌えなくなっちゃったんだ。
それでそこから目標っていうか、生き甲斐みたいなもんがなくなっちゃって覚〇剤とか、良くない薬物に溺れちゃって、パクられては出てきて、出てきてはパクられてって生活を10年近く過ごしちゃったんだよね。
それでも、ラップへの想いってのは捨てきれずに、捕まって刑務所に入るたびに悔しくてさ。
それこそ般若とは同い年で、般若が売れてるのが謎だったし、MIKRISとかも売れてるのが謎だった。俺の方がラップ上手いのに…って想いがあったんだ。
そんな想いがあったからさ、悔しくて雑誌とか開けなかったりもして。
悪いのは自分なんだけど、そんな悔しさがあって、捕まるたびにラップへの想いがどんどん大きくなっていってさ。
刑務所から出てきては、フィリピンパブやスナックで歌わせてもらったりして、ラップだけは辞めなかったんだよね。
最後に捕まって、府中刑務所から出てきてすぐに、リフォームの会社を立ち上げたんだよ。
会社の立ち上げで受けた融資や会社の売上を使ってイベント開いたりして、とにかくラップから離れないですむように、ヒップホップとの繋がりができるように、がむしゃらにやってた。
自分のラップスキルは間違いないって思ってたのもあったし、活動再開したらみんな覚えててくれててさ。
色々なことを清算しつつ2020年にMIKRISのレーベルから「パルプンテ」ってアルバムを出せるまでになったって感じかな。
その後、デミさんとの繋がりはどうなったんでしょうか?
アルバム出したり、イベントやったりで活動していく中で仲間にDJ Southpaw Chop(ヒサさん)を紹介してもらったんだよね。
それでヒサさんのヤバイビートでラップがしたいです。って話したら一曲作ってくれた。
その制作過程の中で、デミさんと一緒に楽曲やりたいんだよね~なんて話をしたら、ヒサさんが口聞いてくれてさ。
20数年ぶりくらいにデミさんと再会して、HOOKだけでもって話で一緒にやれることになって制作したのが「Nobody Beats the KNINK (Best Of) feat. 飛葉飛火」なんだよね。
聴いてもらえたら分かるけど、この曲でどういう狙いかは分からないんだけど、HOOKで歌ってくれてるんだよね。その歌がBiz Markieの“Nobody Beats the Biz”のHOOKのサンプリングなんだよ。
最初、あのHOOK聴いたとき、舐めれてんのかな?なんて思ったんだよ。デミさん音痴だし。
でもよくよく考えると「Nobody Beats the KNINK(人喰)」って和訳すると、“誰も人喰には敵わない”って意味で、20数年たっても自分のスキルを認めてくれてるってことが分かってさ。
むちゃくちゃ嬉しかったよね。そこからまた付き合いが始まったって感じかな。
それからは、VIKNが北千住でやってるジュースバーでデミさんの誕生日会とかやるんだけど、それに顔出して祝儀渡したり、デミさんは今は北海道にいるんだけど、年に数回会うくらいだけど親交があるよ。
たまにデミさんからカニ送ってもらったりしてさ、でもなぜか着払いなんだよ。
その中に手書きの領収書が入ってて、7000円くらいのカニを18000円に書き直されてたり、あいかわらずのデミさんと、お付き合いさせてもらってるよね。
今後はどんな活動をしていく予定ですか?
俺は動かないカッコよさってのがあると思ってるんだよね。
時代は動いていくし、みんな時代に沿って動いていくわけだよ。
例えばさ、一位になりたくてひたすら走ってる人がいるとするじゃん?その人はどんどん前の人を追い抜いていくんだけど、抜いても抜いても前に人がいてなかなか一位になれないんだよ。
もしかすると、すでに一位になってて追い抜いていく相手が周回遅れの人かもしれない。
そこに気づけるのって走ってる人より、それを見てる人だったりする訳だよ。
つまり、順位とかって自分で決めるもんでもなく、他人が決めるもんだっていうのを理解してなきゃ、なんのためにそれをやってるかってことがどんどん分からなくなるんだよね。
一位を目指すとか、売れる曲を作るとかってことじゃなくて、ずっと同じ場所にいて、ずっと同じことやってりゃいつか一位に見える日がくるって思うんだよね。
だから俺は音楽やるならヒップホップしかやらないし、それで飯が食えないなら他のことで飯食って音楽やるし、人気が欲しけりゃ他のことで人気取って音楽やる。
もちろんラップはブーンバップしかやらないよ。俺に音の気持ち良さ、面白さを教えてくれたドラムは裏切れないんだよ。
これまで通りの活動をしていくんですね
そうだね。
今後の活動の答えとしては、ブーンバップの上で今まで通り、真面目なラップもやるし、ふざけたラップもやるし、俺が生きてきて築き上げた、自分の文化を表現していくってことだけかな。
あとは、目標ではないんだけど、Nasなんかライバルだと思って曲聴いたりしてるから、いつか喰ってやろうっていう想いはあるよ。
日本で言えば、ISSGIくん / DINARY DELTA FORCE / MEGA-Gなんかとフィーチャリングしたいとも思ってるし、日本中にいる無名のMCなんかとも一緒にやってみたいって思ってるかな。
それでは、最後に一言お願いします
俺の時間を返せ!とか、言っちゃうよね。
ヒップホップに人生救われたとか、人生変わったって人も中にはいると思うんだけど、ヒップホップにドはまりしたせいで俺はこんなんになっちゃったからさ。
ヒップホップに関わるなら、それなりの覚悟を持って接しないと後悔するよ。
当たり障りのない生活だったり、普通に結婚して、普通に家庭を築いてってやりたい人は、中途半端に関わっちゃだめだよ。
ヒップホップに中途半端は通用しないし、すぐにバレちゃうからね。
“覚〇剤の匂いは、俺には隠せない”と同じで、あえて一言いわせてもらうと、ヒップホップはダメぜったい!
STOP THE HIPHOP!やるなら人間やめる覚悟でやれ!
あとがき
今回、人喰さんにインタビューさせていただいたのは、2023年の8月だった。
Twitterで人喰さんと相互フォローをさせてもらったことで、とんとん拍子にインタビューさせてもらうことになったのだが、何とも不思議な縁だと思う。
彼を誰かに紹介する時、僕はきっと「ILLの探究者」と紹介するだろう。
人喰のMC名の通り、人を喰ったような人間味と、芯を喰った人生観を兼ね備えた、稀有な存在だからだ。
3時間にも及ぶロングインタビューで、終始ふざけて笑わせてくれたが、随所にラッパーとしての真価が垣間見れた、本当に貴重な時間だったと思う。
こうして文字に起こしてみると、深く考えさせられると同時に、少し真理に近づいたような、そんな気にさせてくれた。
これこそが人喰の魔法「パルプンテ」なのかもしれない。
インタビュー後の会話の中で、僕に対しても暖かく前向きな言葉をいくつもかけてくれた。
こういうことは書くな!って怒られそうだが、彼ににかけてもらった言葉は、一生忘れることのできない言葉になったのだ。
今回のインタビューを最後まで読んでくれた人は、ディグの精神、そしてディグとはなにか?を、それぞれが追求し、自分なりの答えを出すための助けになったはずだ。
もし、なんのことやら…と思ってしまった人は、彼の言葉を借りるなら、STOP THE HIPHOP!
この言葉を優しく贈りつけたいと思う。
ラッパーという垣根を越え、ヒップホップの精神であるディグを身につけた、真面目でふざけた男、人喰。
ラッパーとしての活動もそうだが、人間としての人喰をもっともっと知っていきたいと思わせてくれる人物だった。
楽曲もやばいものがいっぱいなので、ぜひCHECKしてみて欲しい。
NO DIG!NO LIFE!