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11年ぶりのアルバムを発表
NITRO MICROPHONE UNDERGROUND (ニトロマイクロフォンアンダーグラウンド)
またの名を頭文字を取って ”N.M.U”
更にまたの名を頭だけを抜き取って ”NITRO”
少しでも日本語ラップに興味がある人なら、この3つの呼び名を聞いたことがあるだろう。
前回メンバーであるDABOの記事を書いていたのだが、DABOの記事を書きながら情報を漁っていたところ、どうしても彼らニトロを紹介せずにはいられなくなった。
その理由は、なんとニトロが11年ぶりとなるオリジナルアルバムを12月中旬にドロップするという大・大・大ニュースが流れてきたのだ!
この記事を書いている11月末現在までに、アルバムからの先行シングルを2曲すでにドロップしており、更に12月2日(金)には3作連続となる楽曲のドロップも決定されていることからニトロから目が離せない年末となっている。
早速だが、先にドロップされた2作品を紹介したいと思う。
「FIRE」10月29日配信
新しいニトロであるのだが、やはりニトロっぽいイントロから、DELIの「お仕置きだべェ~」から始まるマイクリレーは何年経とうがニトロはニトロだ!と思わせてくれる、お仕置きチューンだ。
「Choose One」11月11日配信
GORE-TEXのドスの効いた意味深なリリックから、DABOの秀逸なラップへとマイクリレーから始まる、まるで今のヒップホップシーンを揶揄するかのような楽曲に仕上がっている。
この相反するような2曲がどんな順番で収録され1枚のアルバムとして僕らを驚かせてくれるのか?
今から楽しみで仕方がない。
NITRO MICROPHONE UNDERGROUND
さて、ここからは本題に移ろう。
NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDは、1998年に活動が始まったと言われているが、彼らの活動を紹介する前にメンバーをさらっと紹介しておこう。
メンバーの名前を知らない人はぜひここで名前を憶えておいて欲しい。
NITRO MICROPHONE UNDERGROUND
・DABO (ダボ)
・SUIKEN (スイケン)
・GORE-TEX (ゴアテックス)
・MACKA-CHIN (マッカチン)
・XBS (エックスビーエス)
・S-WORD (スウォード)
・DELI (デリ)
・BIGZAM (ビグザム)
※現在S-WORDは脱退している
ニトロはこの8人で活動を行い、今や90年代以降のシーンを大きく変革したグループとしてその名は永遠に語り継がれている。
ここで結成という言葉を使用しないは、彼らはことあるごとに「俺らは結成したことがない」と、発言しているので結成という言葉は敢えて避けておきたいと思ったからだ。
結成したことがないと言われる理由は彼らの活動を追っていくと見えてくるので、今回はメンバーの紹介をしつつ、彼らの活動を紹介していくという新たな試みで紹介していこうと思う。
ちなみに今回の記事はメンバーであるDABOの書籍「札と月」から多くを引用させて頂いたので、ぜひ彼の書籍も👇からポチっとして頂けるとDABOさんも大喜びだ。
NITROのメンバー&出会い
さぁ、皆さんお待ちかねのメンバー紹介&出会いについて紹介していこう。先述したDABOの書籍を基に紹介をしていくのでDABO目線でのストーリーなっている。ぜひお楽しみ頂きたい。
では、早速DABOから紹介していこう。
DABO(ダボ)
【名前】DABO , Mr Fudatzkee
【本名】芦田大介 (あしだ だいすけ)
【生年月日】1975年 1月 6日
【パート】MIC
【出身】千葉県我孫子市
【所属】NITRO , 東京弐拾伍時 , MABO ,
ラッパー名の「DABO」は幼少期より家族から「ダイ坊」と呼ばれていたことが由来。
自らをプラチナの舌を持つ男、”Mr Fudatzkee”(札月/札付き)と呼ぶ、日本屈指のラッパーだ。
学生の頃からヒップホップに倒錯する、生粋のB-BOYである。
RHYMESTERとキングギドラがラップの原点と呼ぶほど、ライミングにこだわりを持つ。
音楽活動を始めた頃は、DJ HAZIME、THINK TANKのK-BOMB、SUIKENと共に「CHANNEL5」を結成し、ライブやマイクジャックを幾多も行い、ラップスキルを磨いていく。
この頃から後にNITROとして活動を共にしていく仲間たちと邂逅していくのである。
そして常に行動を共にしていた、DJ HAZIMEがSHAKKAZONBIEのバックDJをするようなったことで、第一線のラッパー達との交流を持ち始め、SHAKKAZONBIEの名曲「共に行こう」に収録された「共に行こう Ver.Pure 」に客演参加しラッパーとしてのキャリアをスタートさせる。
DABOについて詳しく知りたい方は過去記事にあるのでぜひ読んで頂きたい。
👇記事はこちらから👇
SUIKEN (スイケン)
【名前】SUIKEN , MEDICEN MAN
【本名】桑田佳明 (くわた よしあき)
【生年月日】1975年 10月 16日
【パート】MIC
【出身】東京都
【所属】NITRO , CHANNEL5 , MONTIEN , K.O.D.P.
MC名の由来は「Smokey Doggy」の和訳「吸い犬」から付けられたそうだ。
DABOとSUIKENの出会いを紹介していこう。
当時”CHAOS”というクラブで毎週金曜にDABOとK-BOMB、そしてDJ HAZIMEがイベントを行っていた。
そのイベントではDJ HAZIMEが音を流し、DABOやK-BOMBがマイクを回し飛び入り参加のラッパーたちとマイクセッションやバトルをするというものだった。
だが、当時はDABOもK-BOMBもHAZIMEすらも知名度はほぼ皆無の状態であり、来るお客はほとんどが知り合いもしくは顔見知りだった。
そんな身内ばかりのイベントに毎週顔を出す、ギラギラのB-BOYがいたのだが、なんせ身内しかいなのでそのB-BOYはすぐにDABOたちに認識されるようになる。
そんなとある日、いつもの様にイベント中にマイクを回していると、そのギラギラのB-BOYがマイクを受け取り、K-BOMB相手にバトルを仕掛ける。
だが、まだマイクを握り始めたとすぐに分かるほどのスキルしかない彼に、刺々しさMAXだった当時のK-BOMBを負かせるわけもなかったのだが、その男こそが「SUIKEN」であった。
この日を境に、彼らは共に行動するようになり、なりゆきで「CHANNEL5」を結成していく。
1997年にはBUDDHA BRANDのEP「天運我に有り(撃つ用意)」に収録された「REMIX(KRUSH GROOVE 4)」にMEDICEN MAN名義で参加し始めての楽曲デビューを果たす。
その後、DevLarge&SUIKEN feat DJ HAZIME「カモ狩り」をドロップし圧倒的なパフォーマンスを披露。楽曲だけでなく様々な物議をカモした同曲によりSUIKENの名は確実にシーンに浸透していく。
その後、DevLargeが設立した「El Dorado Records」に所属し、El Dorado Records初のシングル「The Sense」をドロップし、インディースデビューを果たす。
The Sense / SUIKEN
2000年8月にはメジャーデビューシングル「ALKMAN」をドロップ。
そして同年NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDとしてデビューすることとなる。
GORE-TEX (ゴアテックス)
【名前】GORE-TEX , Mr Nice G13 , トラ
【本名】宮森 智浩 (みやもり ともひろ)
【生年月日】1975年 (非公開)
【パート】MIC
【出身】日本 (非公開)
【所属】NITRO , K.O.D.P.
強烈なダミ声と、常に顔をフードなどで覆い素顔をさらさないことでも有名な男。
※この画像では珍しく顔出ししている笑
DABOとGORE-TEXとの出会いは、King of DigginことMUROの仲介があってのことだった。
MUROが出演したとあるイベントに遊びに行っていたDABOがMUROから朝飯に誘われることがあった。
車で移動することになり、MUROの車に乗り込むと、いかついラッパー志望の男が運転をしていた。
その男はすでにラッパーとして活動していたDABOに「自分ラッパー志望なんです。色々と教えて下さい」と気さくに話かけてきたと言う。
その男は不思議な雰囲気とオーラを持っており、礼儀正しく敬語まじりで話しつつも静かな凄みを感じさせるような男であったとDABOは語っている。
それからはMUROが出演するイベントに行くたびにその男と出会うし、路上やレコ屋などでも頻繁に顔を合わすようになった。
そしてその男はいつしか、MUROのサイドマイクを担当することになり、まだMCネームのなかったその男はMUROから「GORE-TEX」と名付けられる。
しかし、GORE-TEXとDABOががっつり絡むまでには、まだまだ時間がかかったという。
それもそもはずで、MUROと行動を共にしていたGORE-TEXは、MUROの右腕、ライブやMC、DJ、NYへの買い付け、MUROが立ち上げた伝説のショップ「SAVAGE」のスタッフにと大忙しだったのだ。
MUROからMCネームを授けられたGORE-TEXは1996年にMUROの楽曲「三者凡退」で楽曲デビュー。
同年開催された ”さんぴんCAMP” でMUROのステージへ出演するなどラッパーとしてのキャリアはMUROと共にあったと言っても過言ではない。
DABOは当時を振り返りMUROとGORE-TEXはまるで行動を共にし過ぎていたこともあり、言動や服装、体系までもが似ており、周りがジェラるほどのツレのような兄弟のような仲の良さだったという。
その後1997年に初シングル「WATER PROOF REMIX」をドロップ。強烈なダミ声と攻撃的なまでのパフォーマンスでシーンを騒然とさせる。
WATER PROOF REMIX / GORE-TEX
そして1999年には、GORE-TEX , S-WORD , MACKA-CHINとともに「REQUIEM」をドロップ。
この楽曲が基となり、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDの活動が始まっていくことになる。
MACKA-CHIN (マッカチン)
【名前】MACKA-CHIN
【本名】吉田 由照 (よしだ よしてる)
【生年月日】1974年 (非公開)
【パート】MIC , トラックメイカー
【出身】東京都足立区
【所属】NITRO , MABO , MONTIEN , 東京弐拾伍時
NITROのメンバーからは、兄貴的存在、司令塔などと言われることがあるが、本人曰くそれは自分が年上というだけで、他のメンバーとなんら変わりはないと良く語っている。
HIP HOPを形容するNITROのメンバーにあって、いい意味でラッパーっぽくなく、悪い意味でラッパーっぽくないジャンルレスな男がMACKA-CHINだ。
DABOとの出会いは、当時 ”STILL DIGGIN’ ”がまだ宇田川町にあった時代、DABOがディギンに遊びに行くと社長のジンさん、そしてDJ VIBLAMが非常階段で何やら話し込んでいた。
こんちわ~ってな感じに二人に挨拶すると二人はDABOの顔を見るや否や「いた!」と、声をかける。
なんでも在庫が少ないのでニューヨークへ買い付けに行ってくれる人を探していたと言うのだ。
もちろんDABOはニューヨークにこそ行ったことがあったものの、買い付けなど行ったことがなく、ニューヨークに買い付けに良く行っていた、DJ HAZIMEやMUROに救いの手を伸ばす。
その晩、MURO宅に集まり二人からニューヨークでの買い付けのイロハを叩き込まれていると、深夜にも関わらず、ずかずかとMURO宅に上がり込んでくる数人の男たちがいた。
その男たちとは、LINOやGAMAなど雷のメンツたちだった。
なんでもその日、MUROはイベントでDJをやる予定だったらしくそのお迎えに雷のメンツがやってきたと言うから当時からMUROのKingとしての地位は相当なものだった。
そしてその雷のメンツの中に味わい深い外人のような顔のひょうきんな男がいた。
ラッパーなのか?DJなのか?
DABOは恐る恐る、名前を聞いてみるとその男は「マッカチン」と名乗ったそうだ。
その名を聞いたDABOは驚愕したと言う。
髭ちょー濃いし、まつ毛くりくりだし、なによりマッカチンって!!!と。笑
なんでもRINOやGAMAたちととあるラップコンテストに出た時にテキトーにつけた名前をそのままMCネームに使用したというから、こいつ普通じゃない!と興味が湧いたそうだ。
それからというものDABOとMACKA-CHINの交流は深まり、当時DABOやSUIKENたちのホームだったクラブCHAOSにMACKA-CHINが仲間を引き連れて遊びにくるようになる。
そしてMACKA-CHINたちがホームにしていたクラブCAVEにDABOたちが通うようになったりと、その関係は確実に深くなっていくのである。
MACKA-CHINは当時から顔が広く、自身の楽曲こそ発表はしていないが、様々なラッパーに楽曲提供したり客演したりとシーンにその名は広く知られていた。
NITRO結成までの彼の活動は定かではないものの、NITROデビュー以前からシーンにその名を広めていたというから、活動が気になるところだ。
また、GORE-TEX同様にさんぴんCAMPでMUROと共サイドMCとしてステージに立っている。
このステージでMACKA-CHINが「夏休みが始まるぜぇ~」と叫んだことはあまりにも有名である。
GORE-TEXの項でも記載したが、GORE-TEX , S-WORD , MACKA-CHINとともに「REQUIEM」をドロップ。
このREQUIEMはアナログでリリースされたのだが、普通アナログを切る時にレーベル面にはグループ名が記載されるものなのだが、グループ名もなにもなくこのアナログはドロップされることになる。
NITRO前編まとめ
皆さん、NITRO前編はお楽しみ頂けただろうか?完全にDABOさんの著書からの引用通りとなってしまい、大変申し訳なく思う反面、DABOさんの表現のもと正確に、そして当時のDABOさんの感情も伝えていければと思い、今回はこのような記事にさせて頂いた。
DABOの視点から、SUIKENと出会い、活動を共にし、GORE-TEXそしてMACKA-CHINと出会い、徐々にNITROが形成されていく様子は皆さんの脳内に想像という形で浮かび上がったに違いないだろう。
4人の邂逅により、まだ共に活動こそしていないが、お互いに何かを感じ取り、徐々に活動を行う過程で1人また1人と共鳴し増えていく仲間にファンタジーを感じずにはいられない。
幾多のラッパーやDJと出会ったにも関わらず、なぜこの8人が活動を共にしていくのか。
そして残りの4人との出会いはどのような形だったのか? 非常に気になるところだろう。
一日も早く続編を皆様にお届けできるよう、精進していく次第だ!
では、次回のNITRO後編でまたお会いしましょう。